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獲る人

甲板部 砲手

1992年入社

TOMOYA HIRAI

平井 智哉

ずっと目指していた捕鯨船の砲手。
その道に終わりは無く、ただ研鑽あるのみ。

平井 智哉

平井 智哉

TOMOYA HIRAI

甲板部 砲手

1992年入社

甲板員として数年経験を重ねた後、入社時より希望していた砲手に転身。ベテランの砲手として、日々鯨と向き合っている。

「捕鯨」の仕事と聞いて真っ先に思いつくのが、砲手ではないでしょうか。砲手には、鯨を一撃で仕留めるだけの知識や経験、射撃の技術が求められます。共同船舶の砲手として長く第一線で活躍し、後進の育成にもあたっている平井砲手に話を聞きました。

絶対に諦めない姿勢で、憧れの砲手に。

私がこの世界に興味を持ったのは高校生のときでした。学校の図書室で偶然見かけた「鯨の海・男の海」という写真集を見て、捕鯨船の格好良さや働いている人たちの熱量に衝撃を受けたんです。それ以来、鯨に携わる仕事、その中でも砲手の仕事に就きたいと考えるようになり、共同船舶に入社しました。

甲板部員として入社した当初、「やる気さえあれば砲手になれるだろう」と簡単に考えていました。しかし歴代砲手の先輩方は全員航海士の資格を持っており、その資格を持たない甲板部員が砲手になるという前例がなかったんです。でも逆に海技免状がなければ砲手を務めてはいけないというルールも無いだろうと考え、まずは人事課へ熱望していたキャッチャーボートへの配属を、かなり我を貫いて嘆願しました(笑)。その願いが叶い、入社3年目に初めてキャッチャーボートへ乗船することができました。

砲手訓練生候補として最初に声を掛けていただいたのは1997年。しかしそのときは免状取得の条件がネックとなり、決断することができませんでした。次にチャンスが訪れたのが2004年。甲板手という立場のままでの砲手訓練が認められ、砲手を目指すためのスタートラインに立つことができました。

その後は将来のことを考えて、2006年に海技免状を取得し士官の道に進みましたが、それでも長く目標にしていた夢にやっと手が届いたことが本当に嬉しかったですね。

どんな状況であっても、一撃で仕留められるように。

砲手の主な仕事はまず鯨を探すこと、そして捕鯨砲を使って鯨に銛を当てることです。鯨を探すのは乗組員総出の仕事で、双眼鏡を使って船外で探します。乗組員は船の最上部にあるトップバレルから暴露船橋(アッパーブリッジ)にある各座席に座り、鯨を発見すると接近し、捕獲可能な鯨と確認できたら砲手は砲台へ移動し追尾を始めます。捕鯨砲の射撃には、計算でおおよその答えを導き出すことのできる「射撃理論」というものがありますが、自然を相手にする実際の射撃シーンでは一つとして同じ状況が無く、計算通りにはいきません。すべて一発勝負で、いかに鯨を苦しませず短時間で命を絶てるか、そして製品として肉の損傷を極力抑えて捕獲できるかという明確な結果が求められます。

砲手それぞれにルーティンワークがあると思いますが、私の場合は毎朝「素振り」と呼ばれる「大砲の振り回し」「構え」「照準」までの一連の動作確認を日課にしています。あらゆる状況でピタリと照準を合わせて引き金を引き、命中させることが一番の目標ですが、そのレベルには未だ至っていません。それでも結果を出すためには実践のみならず、日々の練習も重要と考えて取り組んでいます。

「海を大切にする気持ち」を忘れない。

海の仕事はチームワークが非常に大切です。私自身、もともと人付き合いやコミュニケーションが得意なほうではありませんでしたが、それが船という特殊な生活環境では特に大切であることを学びました。今もまだ未熟なところだらけですが、日頃より自身の言動を顧みつつ自分本位とならないよう、そして思いやりの気持ちを忘れないよう、少しずつ努力を続けてきたことで、仲間たちとは良好な関係を築けていると感じています。

気づけば私も入社した頃の諸先般方と同じ年代になりました。後輩も順調に育ってきた現在、砲手として私に残された時間は長くないと自覚しています。士官という立場上、砲手引退後に残る道は航海士もしくは船長職となりますが、そのときが来るまでは砲手としての腕を磨き続けていきたいですね。

弊社で働くことを考えておられる方に対して、「海や自然を大切にする気持ち」をしっかり持ってほしいと思います。今、自分たちが生活できているのは海のおかげなのですから。美しい海、自然、そして命をいただく気持ちを大切にしながらも、ここでしか経験できない仕事を一生懸命楽しんでほしいと思っています。